法制史学会第62回総会のご案内


 法制史学会第62回総会を下記の要領で開催します。ふるってご参加くださいますよう、ご案内申し上げます。
 総会等への参加につきましては、同封の振込用紙に必要事項をご記入のうえ、5月7日(金)までに振込手続をお済ませください。準備の都合上、日数を要しますので、期限を厳守くださいますようお願い申し上げます。
 なお、研究報告に限り、非会員の方々にも当日会場にて参加費をお支払いいただきますと、自由に傍聴していただくことができます。ご関心をお持ちの方々のご来場をお待ち申します。

(1)研究報告
  第1日:2010年5月29日(土)午前9時30分開始
  第2日:2010年5月30日(日)午前10時開始
  会場:東北大学法学部第1講義室(仙台市青葉区川内27-1・案内図をご覧ください)
  参加費:1,500円

(2)懇親会
  日時:2010年5月29日(土)午後6時開始予定
  場所:東北大学生協文系食堂(案内図をご覧ください)
  会費:6,000円

(3)見学会
  日時:2010年5月31日(月)
  行き先:福島県会津若松方面(詳細についてはこちらをご覧ください)
  参加費:7,000円(昼食代、入場料を含む)

(4)昼食
 会場周辺には、大学生協食堂以外には、飲食店が全くありません。第1日の土曜日昼食時は、同食堂が利用可能ですが、混雑が予想されます。両日とも、弁当(1,200円)のご利用を強くお勧めします。ご予約いただいた分のみのご用意となりますので、ご利用の方は振込用紙にてお申し込みください。

(5)参加取り消しについて
 参加をお取り消しになる場合は、5月20日(木)までに下記の準備委員会あてにご連絡ください。これ以後になりますと、払い込まれた参加費等をお返しできない場合もありますので、あらかじめご了承ください。

(6)宿泊
  申し訳ありませんが、準備委員会では宿泊のお世話はしておりません。
  (同封の、東北大学生協からのご案内をご参照ください)

(7)連絡先(なるべくe-mailをご利用ください)

  〒980-8576 仙台市青葉区川内27-1 東北大学大学院法学研究科内
   法制史学会第62回総会準備委員会(吉田正志・大内孝)
   電話:022(795)6209(吉田研究室・大会当日はつながりません)
      022(795)6237(大内研究室・大会当日はつながりません)
   当日緊急連絡先:090-9747-7689(吉田・携帯電話)
   FAX:022(795)6249(法学部事務室・大会当日はつながりません)
   e-mail: legalhistory62@law.tohoku.ac.jp

 ゆうびん振替口座:口座記号番号 02240-5-116613
           口座名称  法制史学会第62回総会準備委員会



総会プログラム


 第1日 5月29日(土)

9:30―10:30法はいかにして全国に伝えられたか―律令法の伝達経路(駅伝路)及びその実施に関して―上野利三(三重中京大学)
10:30―11:30近代日本における『行き倒れ』取扱法制とその行政的運用の諸段階―政府・府県・町村の関係及び『行き倒れ』の実態に注目して―竹永三男(島根大学)
11:30―12:30戦後接収期の台湾司法加藤雄三(総合地球環境学研究所)
 12:30―13:30昼休み
13:30―17:00『法の流通』合評会
13:30―15:30趣旨説明および報告
 15:30―16:00休 憩
16:00―17:00討論
   ・司会   屋敷二郎(一橋大学)
   ・趣旨説明 高谷知佳(京都大学)
   ・報告者  三浦徹(お茶の水女子大学)
    鳥澤円(関東学院大学)
    大平祐一(立命館大学)
 18:00―懇親会


 第2日 5月30日(日)

10:00―11:00フランス・プロテスタントの婚姻―アンシアン・レジームにおける婚姻法の展開―土志田佳枝(名古屋大学)
11:00―12:00ギリシア・ローマ法の実践的再構成―法廷弁論再現のためのシナリオ作成上の諸問題―葛西康徳(大妻女子大学)
吉原達也(広島大学)
12:00―13:00昼休み
13:00―15:00総会
  (総会後、休憩)
15:00―16:00室町幕府訴訟法の形成と展開―「特別訴訟手続」の運用を中心に―松園潤一朗(一橋大学)
16:00―17:0018世紀後半イングランドにおける小額債権の紛争解決小室輝久(明治大学)
17:00閉会




報告要旨


法はいかにして全国に伝えられたか――律令法の伝達経路(駅伝路)及びその実施に関して――
上野利三(三重中京大学)


 中央集権体制の実をあげるための統一的法典として編纂された大宝律令は、大宝元年三月二十一日建元の日に令の一部(位階・服制)が施行され、六月には使者を京畿内七道諸国に遣って政務は新令によるべきことを通達した。八月には諸国に明法博士を派遣して令(稿本)の講義を行わせた。翌二年十月に律令は天下諸国に頒下された。各国の国府にようやく律令法典が備えられ施行事務が完了したのである。ただし各国での法の実施が一律に行われたかどうか疑われる。畿内諸国と遠国とでは政府に対する従順度や法典の到達日数等に開きがあるからである。なお新令十巻を黄檗で染めさせる命令のことが正倉院文書に記されている。在京・在外諸国に頒賜する法典の書写や装丁には時間が費やされたことが推察される。
 本報告では、まず中央政府と畿内七道諸国の国府間をつなぐ駅路が、政府の計画した直線的官道で造成されていたことを歴史地理学・考古学等の成果に私見を加えて論じる。律令法典はこの駅路を主な伝達経路として諸国に伝えられた(警察力を発動した犯罪者逮捕や謀反等の密告の際にも駅路は役目を果たす)。国府からはまた、各郡家に通じる伝馬の路があり、律令支配は郡へも及び、さらには路が郡から「郷家」に通じていた。律令法はここまで及んでいたと推論する。それはまさに律令政府が企図した全国的統治のあるべき姿であったが、これを論じるためには、国造等の系譜に連なる郡司を国司が押さえ込む仕組みを述べなければならない。例えば国庁での従属儀礼と国司の決杖権・軍団指揮権、多くの郡符木簡が公式令に則った書式を守っている点なども参考になろう。また『儀制令集解』の古記所引「一云」には春秋の村祭りの集会で「国家法の告知」が村人たちに対しなされていたとある。この「国家法」は律令格式を意味する(名例律八虐条・戸令国守巡行条等)。
 養老律令に関しては、その施行が天平宝字元年五月とされるが、律については疑わしい。同年七月に大宝律による裁判例が見られるからである。このように在京官司での養老律の実施が遅れたとなると、諸国での法の施行は更にずれ込んだのではないかと想像する。


近代日本における『行き倒れ』取扱法制とその行政的運用の諸段階――政府・府県・町村の関係及び『行き倒れ』の実態に注目して――
竹永三男(島根大学)


 行旅死亡人(所謂「行き倒れ死」)は、今日でも『官報』「行旅死亡人公告」で毎号のように報じられている。それは、現代日本で日々発生している社会問題であるが、その法律上の取扱は、今も「明治三十二年法律第九十三号・行旅病人及行旅死亡人取扱法」に基づいて行われている。しかし、この行旅病人・行旅死亡人(以下、「行き倒れ」と総称)に関する歴史的研究は、日本近世史では蓄積があるが、近現代史ではなお少数に止まっている。  本報告の課題は、この行旅病人救護・行旅死亡人取扱法制とその行政的運用の変遷を明らかにすることであるが、これを@幕藩制下の「行き倒れ」取扱方式を歴史的前提として制定された明治四年の太政官布告の、二度にわたる改正とその背景は何か、A三段階の取扱法制に対応した府県の規則と市町村における運用の実際は如何なるものか、という視角から検討する。
 報告は、国立公文書館所蔵の政府文書、秋田県・宮城県・群馬県・長野県の各県行政文書、長野市域・松本市域の旧町村役場文書を史料として、次の構成で行う予定である。
1.「明治四年太政官布告(第二百九十)」「明治十五年太政官布告第四十九号・行旅死亡人取扱規則」「明治三十二年・行旅病人及行旅死亡人取扱法」という維新後の行旅病人救護・行旅死亡人取扱法制の変遷を、その内容、改正理由、各規則に基づく在地での「行き倒れ」対処の実際との関係に即して論じる。
2.「明治三十二年・行旅病人及行旅死亡人取扱法」に基づいて全国各府県で制定された関連する府県規則をもとに、「行き倒れ」取扱行政の全国比較を行う。 
3.「行き倒れ」取扱は、市町村の責任とされ、それに要する費用は最終的には府県が弁償するのだが、この取扱方式から、一連の文書が作成され、発給・収受される。この中、市町村の発給・収受文書を近世のそれと比較し、文書を通した近世・近代の「行き倒れ」対処の比較を試みる。


戦後接収期の台湾司法
加藤雄三(総合地球環境学研究所)


 1945年10月25日、台湾省行政長官陳儀は、中華民国国民政府が「台湾」を主権下に置いたことを宣言した。ここに、台湾総督府所属各機関の接収が開始される。司法機関・訴訟案件については、台湾省接収委員会司法法制組、ことに台湾高等法院が主体となり接収を進めていく。
 第二次大戦終結前から台湾調査委員会および台湾行政幹部訓練班司法組が編制され、司法接収の準備は進められてきたが、その人的資源のなかばは直接には接収過程に投入されなかった。
 接収された台湾全省の法院、法院検察処、監獄においては、中華民国支配体制確立までの過渡期的措置として、人員不足と地域事情に対応するために一定数の台湾人が留用された。しかし、台湾出身者が指導者の地位に立つことは非常に少なく、司法機関のなかでも、そして、社会のなかでも矛盾は深まっていった。「台中県警察局血案」はその矛盾が尖鋭化して発現した事件でもある。
 台湾高等法院文牘科編印『臺灣省司法會議 報告書・議決案』からは、二二八事件直前、台湾の司法当局が植民地の遺制を利用しながら、「中華民国」による統制を強めようとしていたことが窺える。財政的にも人材的にも不十分な台湾の司法当局が主体となって、植民地時期に現出した「台湾人」が居住する台湾の司法をいかに導いていくのかという問題がそこには内在していた。
 本報告は拙稿「「接収台湾司法」小考」を基礎として、陳雲林主編『館蔵民国台湾档案彙編』などの新出史料を用いることにより新たに見出すことができた戦後の台湾司法接収過程にかかわる論点を提示する。





『法の流通』合評会要旨


『法の流通』編集委員会 高谷知佳(京都大学)


 2009年12月、法制史学会60周年記念企画として、若手論集『法の流通』が刊行された。
 「法」とは何か――法制史学を貫くこの大きな課題に対して、時代や地域を異にする無数の社会から、多くの答えが見出され、また相互に問い直されてきた。現在の若手研究者の直面する課題とは、一方では、従来の蓄積により高められてきた緻密な研究レベルに到達することであり、また一方では、今日の学際的研究の洗練とともに、1つのアプローチでは決して捉えきれない「法」の多面性に迫ることである。
 本論集は、「法の流通」というテーマを掲げた。いかなる法も、平板な普遍の規範であり続けることはなく、刻々と変化する政治・経済・文化の波につねに晒されながら、諸々のアクターの織り成す歴史の中で、あるときは不可避的に、またあるときはしたたかに、形成され、選び取られ、活用されてきたのである。本論集では、こうした多元的・循環的なダイナミズムを「流通」と呼び、主眼に据えた。そして章立ては、時代や地域によって分けるのではなく、「収斂」「拡散」「越境」「対流」という、「流通」のあり方によって4部構成とした。
 パートT「収斂する法――秩序形成の諸相」は、国家や社会の諸アクターにより、制度的な法や秩序が確立されてゆく「法」の最もベーシックな形成過程について論ずる。パートU「拡散する法――社会のダイナミズム」は、社会史的アプローチから見出される非制度的な法のあり方を、従来の「上からの法」「下からの法」という単調な構図に留まらず、ヴィヴィッドに捉える。パートVは「越境する法――法のダイナミズム」と題し、自律性と制度的な境界とをあわせもつ法が、異なる国家や社会に継受されるプロセスを、近代を中心に論ずる。パートW「対流する法――概念と実践知」は、法をめぐる諸々の概念や言説、またそこに反映された国家や社会を捉える思想が、自律的な広義の「法学」を形成してゆく過程を分析する。
 「法の流通」という視点の、次に向かうべき課題は、「収斂」「拡散」「越境」「対流」というダイナミズムそれ自体が、相互に流通する過程をとらえてゆくことである。権力や社会は、刻々と変わる流れの中で、自らの利害を守るために無数の法や規範を掲げつつ、自らもその規範意識にとらわれてゆく。法は権力や社会によって作り出されるものでありながら、強い自律性をも抱いて、社会に波を投げかける。
 また、本論集そのものが、若手研究者の関心の「流通」の場である。自らの真っ直ぐな関心のもとに捉えた「法」のあり方を、改めて一同に会し、互いの問題意識やアプローチを問い直してゆくこと、それとともに、隣接諸科学の第一線で今日まで鍛えられてきた問題意識やアプローチに学び、時代や地域を越えた展望を持つことが、若手にとって重要な課題である。
 こうした本論集の射程を踏まえ、本シンポジウムでは、三浦徹氏(イスラム史)、鳥澤円氏(法哲学)、大平祐一氏(日本近世法制史)という、法制史学内外の分野の三氏より、目に留まった論考について、あるいは本テーマの視角について、それぞれの観点にもとづく書評をいただく。また、議論においては執筆者からのレスポンスを行い、また本論集を手にとられた会員からの自由なご感想もいただきたい。





フランス・プロテスタントの婚姻――アンシアン・レジームにおける婚姻法の展開――
土志田佳枝(名古屋大学)


 1685年10月、ナントの勅令を撤回した「フォンテーヌブローの勅令」は、婚姻に関して無言であった。しかし、プロテスタントにとって合法的な婚姻はほとんど不可能になる。勅令は牧師を王国から追放し、プロテスタントは出生、婚姻、死亡の民事身分?tat civil(戸籍)を登記する手段を失ったからである。さらに、1697年3月勅令は王国の臣民にカトリックの主任司祭の前で婚姻挙式を行うことを命じた。カトリックに改宗せず、カトリック教会で婚姻挙式を行わなかったプロテスタントの婚姻は、夫婦としての身分占有possession d’?tat d’?pouxを有するにすぎず、法的には婚約ないし内縁関係としてしか見なされなかった。この18世紀プロテスタントの婚姻を「荒野の婚姻」と呼ぶ。
 「荒野の婚姻」から生まれた子供たちの身分もまた不安定であった。なぜなら、王国の法律を遵守していない秘密婚から生まれた子供たちは非嫡出子であると主張する傍系親族によって、子供たちの相続権は容易に攻撃されたからである。そのため、プロテスタントの子供たちを相続廃除にするための訴訟が国王裁判所において頻発する。
 プロテスタントの「荒野の婚姻」から生じる問題は、チュルゴ、ポルタリス、マルゼルブといった著作のなかで論じられている。これらの議論によって、プロテスタントの夫婦とそこから生まれてくる子供たちのために、国王に対して新たな立法を求める公論が形成された。一方、王国の裁判所は、婚姻の登録簿(教区簿冊)という書証の確立以来、ほとんど顧みられなかった身分占有の理論を通じて、子供たちの相続権を保護しようとする。
 その後、1787年11月「カトリックの信仰告白を行わざる者たちに関する国王の勅令」(通称「寛容令」)によって、カトリックにあらざる者たちには世俗の裁判官の前での婚姻挙式が認められる。この勅令の定める婚姻手続、またそれによって得られる婚姻挙式の証明書は、もはやサクラメント(秘跡)とも宗教的儀式とも無関係である。
 本報告は、プロテスタントの婚姻という視点に立って、宗教改革の起こった16世紀から1787年11月「寛容令」に至るまでの婚姻法の展開について検討することにしたい。
 


ギリシア・ローマ法の実践的再構成 ――法廷弁論再現のためのシナリオ作成上の諸問題――
葛西康徳(大妻女子大学)・吉原達也(広島大学)


 報告者は、長年「ギリシア・ローマにおける法とレトリック」について共同研究を重ねてきたが、本報告は、古代ギリシア・ローマにおける「事件(裁判)」を上演する準備として、まず、両当事者の弁論の再現のためシナリオを作成する上で生じる諸問題を紹介することを目的とする。
 古代ギリシア・ローマ法史料の特徴の一つは、裁判史料、特に法廷弁論史料の稀に見る豊かさである。但し、弁論史料は基本的に「文学作品」であって、いわば「フィクション」である。従って、これを基にして、裁判制度あるいはそこで登場する「法」を再構成するには最大限の注意を要する。まず K.J.Dover, Lysias and the Corpus Lysiacum, Berkeley/Los Angeles, 1966; J.A.Crook, Legal Advocacy in the Roman World, Ithaca, 1995 等を参考にしながら、法廷弁論史料の価値と社会における位置づけについて批判的に検討する。
 次に、古代ギリシアにおいて、紀元前4世紀のいわゆる「ハグニアス事件」を取り上げる。この事件はイサイオス第11番弁論『ハグニアスの相続財産について』及びデモステネス第43番弁論『マカルタトス論駁』によって、非常に例外的に複数の弁論が保存されている。両当事者の弁論のシナリオ作成にとってまたとない好材料である。ここでは、相続法、ヒュブリス(Hybris)法などが言及されており、これらの法文の再構成もあわせて行いたい。
 古代ローマについては、キケロ『カエキナ弁護論』(前69年)を取り上げる。同弁護論は、「占有」と「所有」に関わる複雑な事実関係を背景に、とくに暴力に関する特示命令の解釈をめぐる弁論が中心となっている。ただギリシアの例と異なり、原告側のみの記録であり、裁判のシナリオ作成には困難な部分もあるが、キケロの伝えるところから、相手方弁護人ピソの弁論内容についてもある程度の再構成は可能であると考えている。


室町幕府訴訟法の形成と展開――「特別訴訟手続」の運用を中心に――
松園潤一朗(一橋大学)


 鎌倉時代後期以降、鎌倉幕府は所領の知行に関する訴訟の処理において、使節を任命して訴訟に関する伝達・調査や判決の執行などを行う使節遵行の制度を整備する。この制度を継承した室町幕府は、所領を押領されたという訴えに対し、守護などに押領の停止と訴人(原告)への所領の沙汰付(交付)を命じる文書を多数発給した。論人(被告)に陳弁を求めず、訴人の申立のみによって知行の保全・回復を命じるこの手続は「特別訴訟手続」と呼ばれ、室町幕府の法制の特徴として注目されてきた。その運用実態の解明は政治史分析の上でも重要だが、本報告では制度史的な観点から、南北朝時代〜室町時代における手続の運用と変化について検討する。
 検討の主な素材は幕府の発給文書であり、「特別訴訟手続」と「理非」判断の手続との関係や、手続の運用における幕府と守護の連携などといった訴訟法全体の中での位置づけを中心に述べる。また、従来あまり注目されていない、手続の時期的な変化を見ると、南北朝時代以来、寺社本所領の保護を主な目的として「特別訴訟手続」が多用され、室町時代にも多数の発給文書の事例が確認できるが、応永30年代(1423〜1428)頃から発給事例は顕著に減少している。同じ時期には、将軍(室町殿)の裁許手続において、論人に応訴を求め、その主張や証文を把握した上で「理非」判断を行う手続が整備される。他方、安堵の制度においてもそれまでとは異なった在り方が見られるようになる。所領知行に関するこれらの制度の変化にも注意しながら、訴訟法の変容とその意義について論じたい。


18世紀後半イングランドにおける小額債権の紛争解決
小室輝久(明治大学)


 イングランドにおいて民事事件を扱う裁判所は、中世から現在に至るまで、管轄に制限のない中央の上位裁判所と、事物管轄・土地管轄に制約のある各地方の下位裁判所に分かれている。18世紀後半のイングランドにおける下位裁判所には、州裁判所、ハンドレッド裁判所、市長裁判所、都市のシェリフ裁判所などがあった。下位裁判所のうちのあるものは、訴額の制限や煩瑣な手続などのゆえに廃れつつあったか、あるいはほとんど廃れていた。しかし、下位裁判所のうち小額債権裁判所Court of Requestsと呼ばれる裁判所は、18世紀後半から19世紀初頭にかけて各地に設置され活発に活動していた。
 小額債権裁判所とは、比較的小額の金銭債務訴訟を、非常に簡易な手続で処理した裁判所である。小額債権裁判所の訴訟手続が通常訴訟と比較して簡易・迅速であり、かつ被告の資力を考慮して分割払いによる弁済を認めていたことは、我が国の現行民事訴訟法における少額訴訟(民訴法368条以下)にも類似した点を見出すことができる。
 小額債権裁判所に関する先行研究は、18世紀から19世紀前半にかけての地方民事裁判の制度的な発展を、ある程度明らかにしてきている。しかし、イングランドの小額債権裁判所は、各地の裁判所ごとに組織や手続が異なっており、また、公式の訴訟記録が全く残されていないことから、その実態を知ることは容易ではない。本報告では、先行研究に基づいて小額債権裁判所の制度史について概観したうえで、小額債権裁判所の事例を伝える唯一の史料であるウィリアム・ハットン『小額債権裁判所』(1787年)に基づいて、小額債権裁判所における訴訟要件および実際に係争した事件の類型を明らかにするとともに、小額債権裁判所における紛争解決プロセスの実態を、裁量的な紛争解決と、法的な紛争解決の2つに大別しつつ解明し、その特徴を考察したい。





見学会の御案内


 今回は、会津若松市内にある戊辰戦跡の見学会を企画しましたので、ふるってご参加下さい。
 ご承知の通り、明治元年(1868)の戊辰戦争の際、東北や越後の多くの諸藩は、奥羽越列藩同盟を結成して「官軍」に抵抗しましたが、なかでも会津藩(松平家)は最後まで頑強に抵抗し、そのなかで、16〜17歳の少年たちで構成された白虎隊の16名が自刃するという悲劇も生じました。
 歴史は、とかく勝者の立場で書かれがちですが、敗者の目で歴史を見直すことも必要なことです。会津の地に立って、「賊軍」の立場からは戊辰戦争がいかに語り伝えられているかの一端を知ることは、私たちの研究姿勢にもなにがしかの影響を与えてくれるのではないかと期待しています。
 会津若松市は仙台からいささか遠いため、見学時間はごく限られていますが、会津藩の城である鶴ヶ城や白虎隊士が自刃した地である飯森山を見学し、時間が許せば、藩主松平家墓所や戦死者を埋葬した阿弥陀寺などにも足をのばせればと思っています。
 なお、現地の案内は、会津若松市にある福島県立博物館の主任学芸員(歴史部門)である高橋充氏にお願いする予定です。
 
 

 ○日 時:2010年5月31日(月)午前8時45分集合(仙台駅前)
  なお、集合場所の詳細は、学会会場にてご案内します。

 ○参加費:7,000円
  参加ご希望の方は、同封の振込用紙に必要事項をご記入の上、5月7日(金)までに振込手続をお願いいたします。
  なお、バス座席に限りがありますので、万一超過した場合には、大変申し訳ありませんが先着順にて締め切らせていただきます。お含みおきのうえ、どうぞお早めにお申し込みください。

 ○旅 程:午前8時45分 仙台駅前を出発  東北自動車道・磐越自動車道にて会津若松へ
     → 鶴ヶ城、飯森山等の戊辰戦跡を見学
        (途中、会津郷土料理にて昼食)
  帰 路:会津若松より磐越自動車道にて→ 郡山IC →JR郡山駅前にて途中下車(16時半頃)
     → 再び郡山ICより東北自動車道にて→ 仙台駅前 18時頃解散予定
       (交通事情により多少遅延することがあるかもしれません。
        また、休憩は取りますが、片道2時間強のバス移動となりますので、お含みください)