ご挨拶




法制史学の「これまで」と「これから」

法制史学会代表理事

水 林  彪

 法制史学会は、日本・東洋・西洋の各地域の、古代から現代までの各時代の法の歴史を研究する人々が集い、啓発しあうための学会として、1949年11月23日に発足し、以来、約55年の歴史を刻んでまいりました。当初は数十名を数えるにすぎなかった会員も、現時点では、約460名に達しています。
 活動の中心は、他の学会と同様に、会員が一同に会して研究報告・討論を行なう学会の開催と学会誌の発刊でありました。ごく一時期を除いて、学会は春秋年2回、開催されてきました。学会誌『法制史研究』は、1951年度の第1号以来、毎年1冊出版され、先般、第53号が刊行されました。先輩・同僚の充実した論文はもちろんでありますが、特定分野につき、近年の研究動向を詳しく紹介する「学界動向」、重要な著作及び論文について本格的な批評を行なう、毎号数十本にも及ぶ「書評」、前年に発表された法制史に関する文献を、網羅的に分野別・時代別に分類して掲載する「文献目録」なども、本誌の特徴をなしてきました。
 以上の基幹的な二大活動のほか、研究会関係では、各地域の部会の活動があげられます。東京部会と近畿部会は1950年、中部部会は1990年に発足しましたが、それぞれ、年に数回の研究を組織してきました。出版関係では、古くは法制史学会編『刑罰と国家権力』(創文社、1960年)、最近では──形式上、法制史学会編とはなっていませんが──、法制史学会創立50周年記念シンポジウムを記録した『近代法の再定位』(創文社、2001年)などがあります。
 以上に加えて、2002年10月に本HPが開設され、以後、その運用が重要な活動の一つとなりました。関係者の努力で、学会HPとしては、出色のものの一つができたのではないかと自負しておりますが、ご利用になられた方も同意して下さるのではないでしょうか。本学会に関する上記の事柄の詳細は全てこのHPを検索することを通じて知ることができますし、特に『法制史研究』の「総目次」、「法制史文献目録」、「全データ検索」は、学会員のみならず、法制史学関連の文献情報を求める全ての人々に裨益するところ、大であろうと思います。

 「法制史学」は、「史学」の一部であります。法制史研究者は、歴史研究の一分野として法制史研究が重要であると考え、日々努力を重ねています。しかし、この国の史学全体において法制史学の占める比重は、必ずしも高いとは言えません。試みに日本史関係の講座ものの巻別編成や目次などを見れば、経済史、政治史、社会史などに比べて、法制史関連に割り当てられる論文数の少ないことは、明らかであります。これは、一つには、今日の日本人の意識において、「法」の価値が低いことの反映なのでしょう。たとえば、ナポレオン民法典200周年にあたる本年、フランスでは、市民社会(société civile)の基本法たるCode civil の200歳を祝う幾つもの国民的国家的行事がきわめて盛大に行われつつあるのですが、わが国では、民法典成立100周年にあたる1996年でさえ、法学分野の若干の学術出版を除けば、ほとんど何事も生じなかったという事実が存在します。しかし、このことは、おそらくは、日本の歴史のあり方全般に規定された現代日本社会のきわめて重要な特徴の一つなのであり、それだけにかえって、一般史学は、そのような日本社会全体の特質の史的究明のために、「法」の問題をもっと重要視すべきであるように思われます。そして、法制史学としては、そのために、一般史学との協働の機会を以前にもまして多く持てることを希望しています。
 「法制史学」は、また、「法学」の一部であります。教育に即してみるならば、法制史の講義は、通常、文学部における歴史学の体系の中においてではなく、法学部における法学の体系の中に位置づけられていますので、法制史学はどちらに比重があるのかと問われるならば、少なくとも教育制度上は、法学の側であると答えることになりましょう。とするならば、法制史研究者は、法制史学が実定法学に対してどのように関わるべきなのかという問いを、常に意識すべきであるということになります。法学の中心に位置するのは、何といっても、実定法解釈学にほかならないからであります。しかしながら、本学会の長い研究活動において、この問題を自覚的に追求する試みは、稀でありました。法制史学と法解釈学との関連それ自体を正面から問うことを学会の課題としたのは、これまでのところ、2000年春の学会における「シンポジウム・法学における歴史的思考の意味」だけであったと言ってもよいかもしれません。
 しかし、法制史学者は、今後、この種の問いを一層真剣に取り上げることが求められているように思います。というのも、この4月から全国各地に法曹養成のための法科大学院が開設され、法制史学を含む基礎法学も法科大学院のカリキュラム体系の中に位置づけられようになり、好むと好まざるとにかかわらず、少なからざる数にのぼる法制史研究者が法曹養成教育に直接にかかわるようになったからであります。法曹が日常的に住まうことになる法の世界は、由来を辿るならば、古典古代と近代欧米という特定の時代の特定の空間にのみ自生したにすぎないのですから、法曹志望者が、それとは異質な、古今東西の様々な法文化を学ぶことは、明治の西欧法継受から百年以上を経過して当たり前の存在のようにも感じられるにいたった欧米的な法的世界を、いま一度突き放して対象化し、これを批判的に観察する目を養うために、極めて重要でありましょう。さらに、国際的に活躍する法曹を目指す人々にとっては、仕事の性質上、非欧米世界の法文化に通じておくことが必須であり、法制史学はこの面でも有益でありましょう。以上のような意味において、法制史研究者がこれまで営々と築き上げてきた法制史学の価値は、いささかも減ずるものではなく、むしろその輝きはさらに増していくはずであります。
 しかしながら、そのような法制史学に加えて、いま一つのタイプの法制史学、すなわち実定法学の内部に積極的に入り込み、そこに歴史的思考をもちこむようなタイプの法制史学もまた、これからは重要になるように思われます。古典古代や近代西欧の法は、我々の法の母法にほかならず、したがって、「史学」の対象である以前に、現代日本の法的思考を反省的に吟味する「同時代学」に直接に資する素材だからであります。このような意味において、法制史学はもっともっと実定法学に近づかねばならないでしょう。わが国の法曹の中に、たとえば近代法学の祖サヴィニーのような、歴史的思考を学問内在的に求める知的品位を備えた法曹が一人でも多く育つことに寄与するために。
 依るべき確かな基準を喪失し、全てのことが不透明になってきた今現在、社会の側は、状況に右往左往して、学問にも目先の事への即座の効用を求める傾向にあります。しかし、学問のなすべきことは、むしろ反対に、何千年におよぶ学の伝統を正面から受けとめつつ、人類が直面する根本問題を根本的に考えぬくこと、そして、そのことをよくなしうる人材をじっくりと育てることにあるはずであります。法制史学も学問世界の一員として、そのために、微力を尽くしたいと願っています。
(2004年5月3日)